なぜ ジュエルペットは それぞれの作品間で 主張混乱していったのでしょうか?
バクマンでは〝創るもの皆が真剣に配慮する必要がある〟すてきな主張がありますが、てぃんくるにおいて、漫画意見の回で、あかり(5)の〝統合的リンキング(制作者の高度6で反映)〟がしっかり定立(7)されていますので、その点を心配する必要はありません。この〝てぃんくる〟こそが、ジュエルペットシリーズを〝15年〟描く〝ポテンシャル(9)〟として持っている(定立させている)、と とどは感じます。
即ち、信仰のラインが、ジュエルペットの作風に強力に合っていた、ということで、信仰のラインは、インテグラルをサポートした方が、実践領域も含めて〝主張‐定立できる人が多くなる〟点も考慮に値します。 (ゲーム〝魔法のDS キラピカリーン〟の〝おいのり〟側面[ゲームの完成度がインテグラルであり その機能も反映されている点]にご注目。)
ジュエルペット シリーズで〝信仰のライン〟を強調した作品は!?
〝統合的リンキング〟とは、当然〝統合的(インテグラルな)ランキング〟の別名で、〝キャラクター(ルビーなど)のアイデンティティは 1年仕様では保てなかった(次第に瓦解していった)ので間違い?〟という点をクリアするので重要です。
信仰のラインを強調しているのは、(全52話作品で)〝初代〟〝てぃんくる〟〝きらデコッ〟〝レディ〟ですが、これらは、〝シリーズ間のアイデアの流用〟という表層構造ではなく、〝神秘思想と魔法と現代理性の融和〟と言った深層構造において、〝統合的リンキング〟が定立しています。
逆に考えると、他の作品は〝作品内ではOKでも―〟と、シリーズ間で 信仰のラインが重要な鍵を持っていることを重要視しなかった・仕様が合っていなかった、のです。
バクマンで言われた〝1話完結だが緩やかに続き物〟という〝開かれたストーリー〟が〝シリーズ間の〟比喩に最適で、実質、作品〝内〟において 上記4作品は、それです。
また、〝人間とパートナー〟〝一貫した(開かれた)ストーリー構成〟という共通点(前者は表層構造)があり、これらは偶然!? と思ってしまいます。
ジュエルペット てぃんくる は 最強!?
インテグリティでは、デコやレディより基本的ですが、てぃんくるは、誤解されがちだった点で、今でも、正確な評価‐認識が成されていないのが事実です。
具体的には、〝異端〟という意見が浸透した理由に〝サンシャインは感動の最終回だったのにジュゲムペットの回の印象が強すぎた〟〝映画でルビーが「世の中そんなもの」と言う〟等あるかもしれません。
上記〝信仰のラインの重要性を認識配慮しきれていない〟傾向が出た理由は、〝制作者側が影響を受けた作品が―〟
すなわちそもそも〝世の中に究極の関心(信仰)のラインを強調(主張‐定立)するもの(思想・視点・風潮や営み)が ほぼ無い現状〟と同等のそういったものに影響されているため、(ブーム意識的にも) 信仰のライン配慮と同義の 長期的営みに対して まだまだ無意識的であった と言えます。
私たちファンが、てぃんくるを追いやる風潮に鈍感すぎた、ことが、ジュエルペットの潜在性を、ないがしろにしてきたのではないでしょうか?
てぃんくるは〝ハイパーインテグラルなグリーン〟でしょう。
(ジュエルペットと人間は平等 ・ ルビーとラブラは あかりの内的成長の鏡 として翻訳)
(add: 2018年時点では L/9,Q/2【ナチュラルなインディゴ】のアドレスで見ています。)
ジュエルペットシリーズ 究極の魅力とは!?
私たちは、男性性も女性性も持っているし、形態形成(100匹の猿がある島で芋を洗うことを覚えたら 別の島の101匹目の猿もそれをやって どんどん広がっていったことで有名・集合的無意識) 的に、生物学的に別性の身体現象(実感覚)も 夢など 記憶で媒介され経験し続けている(シャドーワークで開示されてくる)ので
男女のインテグリティを伴って、スピリチュアリティのラインをサポートする本シリーズは、今までの悩みそねみを解決しうる〝めっぽう強力な文化獲得だ〟
というところ、ですね。
〝夢を描く〟とも言いますが、今のところ、この精度で同様のことをしている作品は〝ONE PIECE〟以外に知りません。
以上より、ジュエルペットシリーズは〝全52話構成で 続けることができる〟と結論できます。
コアな制作者が〝インテグラル陣営中心に〟〝続けたい〟と思っている場合は、なおさら〝できる〟のです。
(〝ファンとの認識のバランスや違い〟〝ルビー[←めっちゃ重要]含むコア役が同一であること〟など 議題種々)
私たちファンのすべきことは〝過去のコア作と共にあること〟
ラベル:ジュエルペット
