2018年12月24日

《ドッキ☆ドキ》運命の人間関係(論) ~私の一番好きな〝ジュエルペット てぃんくる☆〟~

・深度=ポテンシャル (超時間的)
・優しさ(行為・たましい)は 優しさ(運命・ハート)を必要とする


365日の〝あかりちゃん〟~ONE RAINBOW TASTE♪~ [君は僕らの宝物]

私は、てぃんくる☆ (そしてジュエルペット)に救われました。 そして 今 ハートがズキズキするような 安堵に似た衝撃を感じています。

昔に 気付かず引き裂かれた魂が、とても繊細で強い優しさによって 時間を越えて 溶け暖められた ということです。

なぜこういうことを言うことになったのか、少し 説明します。

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・難解な51話「輝く奇跡にドッキ☆ドキ!」 あかりのアルマへの強烈すぎる気持ちの理由


私が感じたこの気持ち、が答えなのですが、ずっと 〝てぃんくる〟を見続けていて この辺りだけ まだ入り込めないと感じていた頃、その部分だけ 互換モード(深く入りきれていない解釈)で 理解しているんじゃないかなと 直覚しました。

つまり、あかりは とても幸せだったのであり、その幸せを アルマとその現状以外にぶつけようがない〝神聖な高まり〟としての ジュエルスターグランプリ決勝戦 の慣性系(テンション) に身を置いていたということです。

なので、描写だけでは分かりませんが、アルマとその現状を 幸せのドでかい〝気(持ち)〟で 解き放って!! ちゅど~ん(・∀・)♡ というわけです。 とてつもない 超特大な♡をつくって 全てを アタックしました。

ここを、どう想像できるかで、全く解釈は変わってきます。

(マズローが、神聖なこの状態を ヨナ・コンプレックスと言いましたが、アルマの闇の部分に入り込んで共感しているのではなく、全くそれを寄せ付けない方の 決勝戦に期待される 6万人のライブないしオリンピックのような場面での 誰よりも純粋である故の 雑念の無い 意志と決意に裏付けられた あのテンション――わかる人にはわかるやつ――の方を、強く発揮しているのです。)

もっと言いますと、既にアルマは〝レアレア界を救っている〟のです。

それゆえに、私が自分に(事実として)感じたように〝魂が引き裂かれ〟ました。 レアレア界には〝かなしみと苦しみ〟が溢れているからです。

そして、運命として時間を越えて展開する解釈(9)まで採用(直接体験)すると、その順序は ある程度無視できます。

アルマはレアレア界をすでに救っているわけですが かなり幼いので〝深度=ポテンシャル〟として見る(9)場合、このとき大人だったら こうはならなかっただろうとは言えるのです。 (時間展開上の運命で見ますが、深度となった大人の魂の行為ならば、こうは軽視されなかっただろう、ということです。)

つまり、あかりちゃんは、このアルマの〝レアレア界を救った〟という たましいの功績(行為・偉業)に衝撃を受けている(魂が感動に打ち震えている)わけです。 (どの年齢でも 総合的には行うことになっていたような運命ということです。 この世界のアルマは この年齢で行ったというわけです。)

あかりちゃんは、それを正確に〝たましい〟で見て、アルマを〝非時間的・超時間的〟に評価しました。

(その構造的強さに、ジュディとの出会いも かかわってきます。)

ここまで見れば、分かる人には 〝あかりちゃんは 優しさと確かな強さという意味で アルマの偉業に恍惚していた〟と共感できるでしょう。

ヒーローの原則(今何が何でも君を救いたい)と同じような行為です。

アルマの優しさ(行為・たましい)は あかりの優しさ(運命・ハート)を必要とした〟ということです。


・私が〝てぃんくる〟に救われた という〝意味〟は?


アルマと同じような境遇だったと気付いたわけですが、私の中に丸ごと〝あかりちゃん〟がいるのも事実です。

ここ15年くらいの出来事を〝非時間的・超時間的〟にまとめた近況を簡略化して申し訳ないのですが、たぶん以下のようになります。

まいちゃん←私←ジュエルペット←ミスチル←ワンピース(栄ちゃん)

さらに←が右にあって、これが円環になっている と思います。

救われる方←救う方 ということです。

いつどのように どのくらいの期間で 何を〝救った〟のかは 現時点で完全に決まっていなくても良いです。(未来に起こる運命を含むため。)

確かなのは、この流れ(たましいの人間関係)が働いている ということです。

(この流れが成熟するほど 私たちは幸福で自由になるのです [多くのハートを含むため] 。恋人との関係も進展します。)

私は、てぃんくる☆に救われるまで、ずっとアルマのように人間不信でした。

たましいの根深い部分過ぎて 認識できませんでしたが、昔 至高体験のようなものは感じていて また (かなしみと苦しみが溢れた)最悪の小学校時代を過ごしていたということくらいは分かります。

私は、まいちゃんに救われたと感じていましたが、彼女にとってそうだったけど 私は救った方だったみたいです。

私の方が、てぃんくる☆に救われました。

このたましいの人間関係って、想像以上に多次元的で複雑ですね。

誰もが 無我夢中で生きる運命なら 英雄の旅をして、その結果 魂が引き裂かれるので、必ず誰かのハートを必要とする、ということです。

(今は、この位の説明までの展開にしておきます。)

もうひとつおもしろい構図を書きます。

アルマ←あかりちゃん←ルビー←エンジェラ←ジュエリーナ様

これも、さらに右に←があって アルマがジュエリーナ様を救うという構図が見れます。(レアレア界の複雑な国境線を変えることができるハーフのレアレアだったし。)

あかりちゃんはルビーのこととなると弱くなる(アルマには強くなる)わけですが、ルビーのあかりちゃんへの努力(行為)を評価してくれたのはエンジェラでしたよね。

1話より52話の方が、1年近く後です。 [このギャップを運命(9)で見るわけです。]

何となく、私の言いたいことが 分かりました?


・必ず闇夜は経験する [優しさは悲しみを超える]


自己実現を経ていけばよいので、期待されて たましいが くるくる☀ なるような、大きな(人生の)ステージに 自分を明け渡して 幸福に満たされていく 道を歩んでいけばよいのです。

ただし、こう単純な構図(←の例)とは限りませんが、気付かずとも〝世界が変わるほど 助けてくれる君は必要〟ということです。

運命(9)で見ますので、結果的に〝絶対無いとだけは言わなくてよかった〟という方向に行くということです。

無駄に待つようなものではありませんが、ジュエリーナ様がアルマに言ったように、確かにそんな感じの〝働き (信じて明け渡す準備をしていなさい)〟は〝ある〟ということです。

←と←の、どっちが先でも同時でもよいし 進行の時間の長さがどのくらいでも構わないのです。

ただ、人間関係という〝コミュニケーション〟の分野において、なぜか これを認識している人と あまり認識していかない人がいるのです。

私は、たぶん (大部分)認識していなかった人です。

健全性(9)の議論では、この視点は包含した方が良いと感じています。
posted by アニメとど at 00:00| ジュエルペット | 更新情報をチェックする