2018年04月03日

ワンピース☆ベッジの災難!?

あの凶悪らしい、ふぁーざーの登場にて、しかもルフィと共闘するのだから、これは敵も分が悪いと…

普段ならそうなるのだけれど


見聞色を鍛えすぎて って(笑)


スイーツとは離れたネームである、〝カタクリ〟なので、ストイックにヤバそうなヤツ。

しかもちょっと(コワ)イケメンか?


うーむ。 ベッジの顔が…(@_@。
ラベル:ONE PIECE
posted by アニメとど at 08:17| ONE PIECE | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

ハンター×ハンター☆闇VS光の戦い

〝闇のヒスイ〟対 〝奇運アレキサンドライト〟


まさに、ゲンスルーを、ゴンを象徴する、この2つの宝石

ダーク対ライトなジュエル戦が・・・と


やっぱり、この2枚ですよね。この戦いのキーカードは。
ラベル:hunter×hunter
posted by アニメとど at 14:00| HUNTER×HUNTER | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

キッズと私たちが「明るく いっしょに」 多元的に 同じアニメを見る「未来」♪

ワンピースを見ていて、最近 こういった記事も書きましたが、どうも アニメを見たり思想について洞察しようとすると 変な感じといいますか しっくりと来なくて、なにやら 堂々巡りをしているような気がして、ふと アニメと大人のここ20年くらいの関係性を考えていると、ワンピースのスイーツダンスプリンセス風設定の一つの〝こうなった=仮説〟が見えた気がしましたので、いい加減に ちょこっとだけ記しておこうと思います。

ポイントは、〝深さ〟が〝有用性〟としか認識されない。


・大人は経済を回していて偉い→大人のし好物は〝役に立つ〟

・子どもは未熟なので偉くない→子供のし好物は〝役に立たない〟



これが未だに前提となっているため、「インテグラルで深い視点で描かれている作品」が想像だにされず、大人という意味の横文字「アダルト」・・・のようなキーワードから 大人が〝大人のために役に立つ〟ものとして想定するものを「上にのし上げる(引き上げる)」風習が、ずっと続いている…ということではないでしょうか?

もうそろそろ、深さ とアニメの関係が理解されても良いのに、それが脆弱な故に、極端に破壊的で 表面的(認知的)な知性のみの 売るないし注目の手段とするような バランス感覚の崩壊したものが テストを通過します。

「深さ」が「大人の娯楽の有用性」と未だに誤認されている、からです。

「深さ」についてのまともな議論は、見かけません。

特に「アニメ」 は ――(以下 反例「 」)――「子ども用のはずで 偉い大人のための有用性のある、ものではないから いい大人が見るのは おかしい。あるいは 偉い大人のための有用性のある娯楽品(お子様には到底見せられないものが根拠) を作ればアニメでも文句は言われないだろう」――― という風な俗習があるから、「まともな大人やファミリーは 真剣に寄り付かなくなる → アニメに対する深さの議論が一般化しない」。

確かに、アニメで世界を変える・・・と想像する多くの現代人の中身は、稚拙っぽい印象があり、上記の俗習にろ過された下方の残り物(一部の掲示板が喜びそうな表現で言うと「底辺」)の様な印象があります。

さて、最初の言葉を少し変えて「お菓子」としますと


・子どもの食べるお菓子の「味」では物足りないから 大人用のお菓子を作ってくれ

・なぜなら子供より大人が偉いから



コーヒーの視点についても言えますが、深さではなく有用性としての大人の「味=娯楽品」としてお考えいただくと、スイーツないしお菓子の国ないし「アニメ」の この時点での「私達の認識の甘さ=危うさ」がなんとなくでも想像できませんか?


私と まともな制作陣営は「深さ」でアニメを認識していますので、今更・・・なのですが、よく考えると、大多数の視聴者と一部のアニメ関係者・制作者[※以下リンクの関連作品と結びつける意図はない]――は そうではなかったんですよね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%8A%E5%8F%8B%E9%81%94

こういった一般向け方向の記事より、たぶん。 (「大きいお友達」「し好物」等の[様な]言葉で書かれていました。―――2018 04 参照。大まかな参考でお願いします。リンク先の固有名詞[作品など]に私は詳しくない[かもしれない・私が意図したものではない]ことも含めて、この議論に直接含めないでください。)


私と私の主張は、「しっかりとした 深さの尺度でアニメを見れば、今までと違ったよりシンプルな視点で アニメを楽しめる」と言いたいのです。

子どもが食べられない 大人のためだけの「アニメ=スイーツ」は、そもそも 子どもと同じ心身を基本にしている私達にも有益ではないという明白な理由で、「子どもより上の深さでもなければ 基本的に健全なものでもない」ということです。 (手頃な例だと、自然に料理に使っている「みりん」は良いわけです。)


音楽や一昔前から共通の認識としての映画などは、社会通念上の「適用範囲」が狭い(会社や世間で噂になるほどの発達上デリケートな都合が生じない)ので、「オタク」のような問題も生まれにくいです。 アイドルは 「オタク」・・・側に付いた・・・点より、やはりこれからは「深さ」を理解する、「有用性」と取り違えないこと、に本気で取り組まないと 文化をやがては維持できなくなるんじゃないかな、と思います。 (先例と言える、今の「アニメ」の大人・社会との距離とその違和感を単純に見てほしいです。)


私のブログの中で 「インテグラルの言葉では書かれていないけれど、ポストモダン(AQAL尺度での 深さ6)のスピリチュアリティの発達ラインを健全に強調することに成功したと思われる(お気に入り)作品」が解説されていますが、より健全な「深さ」と、不健全な方の「有用性」の両陣営に広域な影響を与えることから、「スピリチュアリティのライン」と「深さ」を、見ることでは 素直に学びにくくなっていることが、残念です。

まず、この「ポストモダン(多元的相対主義)」の「スピリチュアリティの発達ライン(の深さ)」とは何か、を知ることから、それがアニメとして子供に翻訳されているので「大人への有用性の偏見から より共通分母の低い高度(浅い深さ)で誤解釈しないように」する必要があります。(深さの理解が欠けた「大人の有用性」で見れば、オタク向けという偏見でしか見れなくなるのです。)

そして、大多数の一般の方は、この文章にたどり着くのは無理だと思います。 それだけ、一般の人々がアニメを語る(或いは批評する)時の「非合理的な浅い有用性のみの深さの高度から語る」文章・風潮が多すぎるからだと感じます(そういう文章を読んでは流して疲れているということ・それは伝わり難いということ)

(スピリチュアリティのラインを見る場合、狂信的になる浅い方の一例としては、昔のキリスト教が セクシュアルなイバラ的に表現したようなものが、大概そうですね。――昔に発達心理学がなかったためスピリチュアリティのラインの領域の各種深さを判断できなかったのです。)


映画も音楽もドラマも演劇も舞台全般も、そもそも「思想-視点(深さの尺度)」にできるので、「特別子ども向けやオタク向けに決まっているジャンル」というものが絶対的(原理主義的)に決まっているわけではありません。

(ポストモダンでは、本来 常識のはずです。)


ゆえに、「大人の世界からより正しく描くアニメ→深さをサポートして翻訳もウマイ→大人は有用性ではなく深さで 次世代の子どもたちに浸透するメリットをありありと実感して見る」という態度が正しく、大人はアニメを「大人の為だけの有用性の娯楽品」として見る堕落をやめれば、「オタク」とか その辺の余計な面倒を言われなくなる(生じてこなくなる)ということです。

つまり、子どもに負けず、本気でアニメにハマりたければ、「深さ」つまり、「子どもの基本的世界(モダンまで)+大人の無限の可能性のある世界(ポストモダンから) の両方をちゃんとサポート」すればいい、ということで、間違って卒業した人数知れずですが、「スピリチュアリティのライン」と「ポストモダンの深さ」は、学術的にも体感的にも、大人が学べないといけない時代です。


今のアニメは、子ども達そして私たちに 「世界が幸せになって つながる」洞察や方法を伝える、私達は そういった出来事・世界に興味・関心を持って関わるための「勇気を持つ」―――それを助けるアニメこそが、真に意味のある正しいものだと思います。

(そういったアニメは、子どもと大人が世界観の彩に関わらず多元的に ともに意義を持てるのです。)

posted by アニメとど at 15:01| 【いろいろ☆とくしゅ~♢】 | 更新情報をチェックする

2018年04月17日

アニメはハッピーエンドがいい!! ~ちょっと不思議な共時性~

アニメとホラーキー(深さ)の関係について 歩みを共にしていること数年?

共時性について最初に(強く)研究奨励したのは アインシュタインでしたね。 (ユングにコミュニケーションして。)

最近、やたら不思議なシンクロニシティがやってきていて、そのすべてがインテグラルを表すものではないけれど、アニメとこのブログ(主題)から始まった点については、ちょっとだけ語ろうと思います。

共時性は、あまり関係のない物事が一緒になったりして驚くもので、私の中では、ジブリのホタルでした。(この間放映。)

あのお話、海外でも偉い人気と言いますか、ちゃんと、オバマさんの原爆追悼?の訪問ともつながるようなより良い解釈(誰にも戦争を経験させたくない)が成されているようで、ハッピーエンドではないのに〝大人の為だけの有用性(し好物)【※この間の議論参照】 の入る余地がない〟ストーリーであり、それが結果として、未来の〝ハッピーエンド〟を導いている ということです。

論文 (例えば ケン・ウィルバーの「進化の構造」という〝本〟でもいい) は、一定の深度の大人があるテストを通過して解釈議論できる、〝文字ホロンが基本単位〟の活字です。(活字です。子ども的には。)

一方アニメは、いわゆるシンボル(ルビーのサクランボとか)が基本的な構成要素です。(ケン・ウィルバー並みのインテグラルな高度のアニメのホロンでも 前記の例の「進化の構造」等と違い 子どもに理解されやすい構成要素から成ります。)

インテグラルな人々の中(世界空間)にて共時性が起こりやすいのは、そういったイメージ・シンボルなどのアルファな共通分母(の深層構造)から、よりインテグラルな(深い)深層構造を〝直観的に(或いは統合数学的に)〟結び付けて(ネットワーク・ロジック)、より要約的な情報(心・感情の情報等も当然含む)として 瞬間的に処理していくからだと感じます。

よって、単なる〝境界症例(ぎみ)の人〟と〝ネットワーク・ロジック〟の〝表層構造(単なる見かけ上の出力)〟は似る、気がします。

前後の誤認(プレ・ポスト ファラシー)の元にもなりますが、要はアニメでは〝アルファな要素(イメージ・シンボル・概念・・・)〟から成り立っている情報(と心の ホロン) が(活字の論文と比べて)基本になり、語呂合わせ(シャレ)の様な共時性が〝インテグラルにおいても〟見られると言えます。

即ち、その場合は〝その主張が深いところでつながっているか?〟を見るということです。


詳細は描きませんが、今回の共時性は 軽く関係図にして手書きのメモを残しています。

アルファな自然なシンボルなどからでも〝統合的リンキング〟か〝矮小化〟か など〝判断ができる〟という確信・研究材料にもなるでしょう、というちょっとしたご報告です。

この文章にて、感じる人は、かなりの部分まで読んでくれると思いますので、こういった報告を今までにはほとんどしていない意味で 記載しておきます。

もう一つ感じているのは、私は「論に頼る」タイプで、「直観に頼るタイプ」との〝バランス的なリンキングの相性が良い〟ということです。 (両者に無いものは、インテグラルな間主観的な世界空間(Q/2)にて出会う、ということですね。)

シンガーソングライター同士でそれをやると(それが生じると)、どうなるのか、という世界にも興味が出てきました。

実は、特にアニメに言えますが、隠れたメッセージがあったりします。

(私の近況が主です。このページに書いてあることの意味は、あなたがほかのページを読んでくださいね♪ ということになるはずです(笑))


最後に、リンクを残しておきます。 (最初の3つは 私の作品です。)

[メロディ] 歌詞は現時点で未掲載で、色々意識せず書いていたのに 上記の出来事に具体的に気付く大ヒントになったりしました(笑)

[ストーリー1] ある意味で 今回の気付きを先出ししてくれた ハッピーエンド・ストーリー♡ (ヒロインの名前は・・・)

[ストーリー2] さりげに(下記を意識せず)一新したあの方(登場人物)含め 意外に色々とリンクしている気がして、ちょっと驚いています。

「himawari」 悩んでいましたが これ(題名込みを初見で)を見て最終的にこの記事の掲載を決めました。 (2018 04時点。関連作品[関連会社やキャストなど]は(今回の主張のサポート外なので)除く[関係させる意図なし]。 ――こちらにてこういった論文も書きました♪)
posted by アニメとど at 23:14| 【とどさんの♢ポリシー♪】 | 更新情報をチェックする

2018年04月26日

とっとこハム太郎って なんだか ロイヤルだよね(・∀・)

このアニメも、書く機会が つかめなかったので、今 書いとこ♡


ハム太郎は、ポケモン時代より、テレビ東京(あにてれ[だと思う]) が、なんだか 少しずつ すごく極めることができちゃったっぽい (つまり こだわりの) 、〝家族的キャラもの〟の流れにあります。

このキャラもの系アニメにて、概ね最強なのは、キャラがたいてい 言葉をしゃべり(心圏)、登場キャラ数が〝いっぱい〟なことです。




ハム太郎アニメの高度を何となく模索していると

小さな子ども達(お喜び)的な動物的ハムちゃんず、も入りつつ、学童的な要素にまとまりつつ、かなりリベラルな要素がハムちゃんずたちに広がるあの〝擬人化以上ポストモダン的妖精〟までをも含みつつ

要は、現代にあるものから わかりにくいものまで色々と描いているので、意外に第2層(7)の視点で(私が)見れているんじゃないか・・・、と 思えるような気がしました(・∀・)


ハム太郎って、硬派な (カルタ的な良い意味で 実は〝銀ピカに しぶい♡〟) アニメじゃね?(・∀・)☆彡
posted by アニメとど at 07:51| 【いろいろ☆とくしゅ~♢】 | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

ワンピース☆カタクリが未来を読むシーン

多分、昔の人が今の高層ビルを〝解釈する〟ような感じで見ているのだと思うけど。


確かに、〝マントラを使う〟以上のことをやっています。

つまり、エネル(ゴロゴロの実の電波能力を見聞色の覇気と組み合わせて使って〝遠くの人物たちの会話を読み取る〟) より さらに先の(異質な) 〝マントラ(声を聴く)!?〟能力が、ある(としか思えないように見える)わけです。


まぁ、海王類の意思が聴けるのも、未来を含む〝今‐世界〟の〝言葉大辞典 (みたいな感じに 万物の声とアクセス!) 〟なるものを〝直観(直覚)する〟ということに相違ないのでしょうけれど。
ラベル:ONE PIECE
posted by アニメとど at 14:00| ONE PIECE | 更新情報をチェックする