毎週楽しみに見ている〝ドラゴンボール超〟ですが。
(なんせ、ハイビジョンやからね。あのブウ編後が。)ビルスのアニメ編(ここでは、映画アニメに対して、通常アニメを指します) に対して〝あれ?〟って思った方にちょっと解説。
映画〝神と神〟では、まだ、ビルス様は、〝どうしようもなく、歴史を終わらせてほしい星しか破壊していない〟〝破壊神(2)を装っているが、本当は、ものごっつー悪いことはしていない・理性(7)がある、若しくは、そういった運命に守られている、ないし〝わざと〟 或いは、ウイス〟・・・といった希望的解釈が可能でした。(悪まっしぐらと決めつけられるシーンが無い。)
その理由として、作者の鳥山さん(ナルトの作者が大好きなせんせー♡) が、当時子どもだった〝オトナ世代のファン〟と歩む中で〝今となっては、力と力ばっかしで、ちびっと恥ずかしいわ♡〟感覚を共有しているからです。
私たちDBファンは、当時のおもしろさと、今包含している理性で、それらが分かるものの、〝今の子供世代は、ただ単に私たちが成長していないわけではないことがわからない〟可能性もあるゆえの、〝名作(7-9)〟としての〝提示‐描写〟が込められているのです。(そう伝わってきました。パパたちが子どもに、強さ以外の深いドラゴンボールの〝解釈〟があることを伝え合えるという意図です。)
ゆえに、新鮮なギャグが基本で、ビルスもその中に巻き込まれていたわけです。(なんなんやこいつ(笑)ってところが、第2層のギャグとして、絶妙におもしろかった。或いは、GTのパワーインフレ。)
こやつを出すしかなかったわけです。
(2作目は割り切って作ってそうだけど。)このような流れで、まだまだ語れることがあるとしても、ビルス様の立場は、その〝何処に位置付けたらいいかわからない、ぶっとんだ存在性(7)とその運命(9)〟こそが、隠れたテーマでした。
上記、当然、今の子供世代に関係の薄い話ですから
ドラゴンボール超に関しては、あくまで、〝健全的翻訳的作風〟からスタートする必要がありました。
この為、別方向で優れることとなったのです。
ベジータと夜更けのリゾート・・・
すてきすぎますが、ビルスがただの〝宇宙独裁者(3)〟でしたので、分かっている分、チビブウより悪い(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
映画と違って、こちらは、誰もが、〝たんに逆らえない(5)から、口をつぐんで神様(2)だと認めている〟ということです。
ディアンシーのシトロン台詞で概ね文化になりましたが、〝意味のある破壊(5)〟は、〝邪教のシャドー(2)〟に悪用される言い訳の宝庫の為、本来、識別可能な高度(7)から諭す必要がある、のです。それが〝神と神〟ですね。子どもへの翻訳で、大人が誤解する箇所です。
即ち、今回言いたいことは
破壊神は
〝起こるべくして起こる無常(5)を許せるようになること〟
〝すべては明るいギャグにできる(7)・不合理な闇(2)を識別できる〟
〝邪教への憧れ・投影(2)をあぶりだす〟という、映画では、3通りの目的があったのですが
一応のところ、超では、無常(5)メインで分かりやすく制作したので
邪教の破壊神(2)の言い訳にされた場合――〝天下のドラゴンボールが、皆、星を壊しまくっている奴をビルス様って崇めているんだから、何やってもいいじゃん(@_@。〟って言われたら―― まず地上波で先に2回やった〝神と神〟を先に見ておいてくれよ(^^♪ と言うしかない(笑)(笑)
と、このように、今回のビルスは、かなりの悪者(3)ですよね~(^^
posted by アニメとど at 22:31|
ドラゴンボール
|